テキトーヨシダのブログ(テキトーヨシダ氏の秘書が作成)

こちらでは、写真や日常的なことに対して本音を書いている辛口ブログとなっております。

元公務員になり、現実を思い知りながら、自らを知ることに 〜公務員の回想録4〜

こうして防衛庁事務官を退職し、
会社員として人生を生きることになった。

もちろん今後は「安定」がなくなり「自立」が基本となる。

 

自分の意思で退職し東京へ引っ越した。

引っ越した以上は、誰かが助けてもらえるわけでもない。

「何があっても、私の責任です。」

という言葉が頭に残る。

 

東京に引越しし、
ご縁があり保険営業を1年4ヶ月間やったが、結果はボロボロ。

ここで「いかに公務員がぬるま湯の環境だったのか?」

という痛感した。

 

公務員は、あってないような勤務評価だったが、
保険営業は「証拠が残る契約実績」が基本。

どんなに見込み客と接し、
がんばっても、契約実績が伴わなかったら評価されない。

 

公務員は言葉悪いが「担当している仕事を遂行して当たり前」。
なので「世渡り上手で、残業当たり前」「事なかれ主義」の職員が
なぜか評価されやすい。

「義務を果たし、権利を行使する」という職員は評価されない。
権利を行使する人や、変革主義の人は、
公務員の世界では煙たがられ、今でも蚊帳の外に扱いたいようである。
向上心もいらない職場だから。

 

しかし、公務員退職直前、
当時の上司と親に言われた、2つの謎

「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」という言葉。

これらの事実を見つめることないまま公務員を過ごしていた。

 

保険業退職後、会社員として転職しながら過ごし、
その間、起業家スクールなどに通ったりした。

 

平成26年10月。
通院開始前に何度かイベントの出入禁止など、発言や行動に問題が出ていた。

同時に今後、個人事業を続けるにあたって、
自分自身を本当に知る必要があるとわかり、謎を解くために専門医の門を叩いた。
大学病院の発達障害外来へ。

そして平成27年3月、
正式に言われたのは「広汎性発達障害」という症状。

 

私の場合、
事前打ち合わせなど、事前に情報を把握していることは、
そつなくこなせる。
しかし、突発事項はすぐ混乱が起こったり、情報がないと完全に脳内が思考停止する。
また、名前と顔はよほどインパクトがない限り、ガチで忘れる。

他には、しゃべらない時としゃべる時が両極端だったり、
ロングスリーパーである。また脳内整理が超ヘタ。

コミュニケーションも、きっかけがない限りは何もしゃべれない。
そんな影響も手伝い、女性と付き合ったことがない。
(厳密には1ヶ月だけあるが、相手も精神的に病んでいた方で、黒歴史と化した)

 

発達障害とわかった瞬間、私が感じたことは一つ

「ああ、やっぱりな・・・」

過去に言われた高機能自閉症やアスペルガー症候群など、
疑惑で終わっていたことが、ここではっきりし、気持ちがスッキリした。

パズルのピースがここではまった瞬間だった。

 

この時点で私が選んだ道はレッテルを貼って生きるのではなく
「今後は自分自身の扱い方を考えながら進めよう」だった。

 

公務員だった当時、うつ状態が何度かあった。
また、金銭管理がストレスも手伝い、超絶ルーズだった時期もあった。
ここで冷静に感じたのは「実は発達障害による二次障害」に繋がるのではと感じた。

私の場合、好きなものにはすぐのめり込む反面、
イヤなもの、嫌いなものは、とことん触れたくないという両極端性がある。

公務員退職するラストは、
「もう公務員自体やりたくない」という気持ちでいっぱいだった。

誤解を与えるので追記すると、やってる方々で、
本当に好きならそのままやってほしいが、私は純粋に合わなかっただけ。

もちろん、自衛隊には感謝しております。
また、震災などの派遣に関して、本当に素晴らしいと感じてます。

 

これによって、うつ状態含む公務員当時のことは一気に整頓できた。

 

あと、母との関係も、
元々話す機会はあまりない(用事ないときは一切話さない)が、
発達障害がわかってからは、冷戦状態を自ら外した。

「親を恨む理由がなくなったから」である。
変な理由で私を産んだというなら話は別だが、
今となっては調べることが現実的ではないし、
知ったからといって、何があるわけでもない。
発達障害は生まれつきの先天性だから。

 

こうして今に至っている。

人間関係については、地道に改善をし、
おかげさまで少しずつと良い方向へと動いている。

もちろん、
カメラマンである以上、お客様のニードを把握すること、
またそれ以外でも信用を作り上げること。

いろんなきっかけで信用を崩したことは数知れずなので、
そこは徹底して意識する。

今はネット社会だから、良くも悪くも情報は早く知れ渡る。

 

とはいえ、まだまだであるが、まずは前へ進むこと。
これ一点だと思う。

4日間に分けた回想記シリーズでしたが、
すべて読んでいただいたあなたに感謝申し上げます。