平成16年4月、小さい職場に異動。
アットホームな環境だったが、人間関係がうまく作れず。
さらには、異動直後の4月下旬に何者かが、私の物品にいたずらを仕掛ける。
これが一回だけだったら問題なかったが、何度も被害に遭う。
もし、これが一般の会社だったら「器物破損罪」となる案件である。
犯人はまったく見えない。推測だけでは戦えない。
あまりに酷さに、上司と相談するも、上司自身の自己保身が強かったせいもあり、
一切取り合わない上に、警務隊にすら出さないという扱い。
手がかり探すも何も見つからない。
当然ながら「疑心暗鬼」になった。誰を信じていいかもわからない。
見えない敵と戦っているようなもの。
だんだんと精神的に追い詰められ、精神科に数回通院することに。
更には、仕事においても、
やることなすことが、どんなに真っ当な内容も裏目に出たり、
違うルートで文句が出る。
「文句あるんなら堂々と私に言え」という本音とは裏腹に、違うルートで叩かれる。
何をやっても、報われない上に、水面下のいじめやいやがらせ。
職場の関係者との関係も険悪のまま潰れている自分。
上司に退職を申し出ても門前払いされ、ついに言った最後の言葉は
「退職の手続きか、異動のどっちかで対応してください!!」と訴え、1年で異動。
異動後は完全に新しい仕事だったが、
半分死んだ目になってやっていた記憶がある。
ラスト半年は異動した上司(係長)とウマが合わず、
意図的に決裁を通さないなどいやがらせされ、
言葉は出さなかったが、8月上旬ついに机をバンと叩き、キレた。
キレた後、その上司は、謝罪しても許してもらえず、
一切話はもちろん、口をきかなくなった。
(仕事は確かにできる人だが、人間性という意味では最低)
もう、この時点であらゆる要素を含み「潮時」だと完全にわかった。
あらゆる選択がなくなり、完全に詰んで「退職」の一択となった。
こうして、少なくても言えたのは
公務員当時「好きな仕事をしていない」ということ。
これが徐々にストレスとなって出てきたのが最後の行動だった。
8月に退職の申し出をするも、
不思議なくらい公務員では簡単に辞めさせてくれない。
会社員だったら、すぐにOKなのに。
(*悪いことした場合の退職は早いです)
隊長から慰留かけられるも、はっきり言ってもう無理だとわかった。
幸いだったのは上司(科長)が意思を尊重してくれたこととはいえ、
退職前に、母親に事情を説明したらしく、
親も自閉症のことをすべて話したようである。
紆余曲折がありながら、11月中旬に正式退職となった。
退職当日、
スッキリした顔で出て行った記憶だけ残っている。
それだけ押しつぶされたのであろう。
実は、
人事的な扱いも平成5年に精神病として休職した時点で決まっていた。
出世という言葉のない「捨て駒扱い」だと。
それが形になってわかったのは、転勤異動先の流れもあったが、
退職する年の8月に決定打があった。
私の後輩が幹部になるための教育入校できたが、私は声すらかからない。
どんなに異動しても評価されない。
公務員では評価の基準すらわからない。
ただ逆に、このまま公務員を続けたらどうなっていたのだろうか?
少なくても以下の状況になったと言い切れる。
・精神病で廃人か、自らの命を絶った
・運良くても、死んだ目で公務員を続けた
そういう意味では、この退職は正解であった。
同時に東京へ引っ越すという決断にもなった。
とはいえ、退職と同時に得たのは「自立」というテーマ。
何があっても、今度は私の責任ということ。
引越する前、実家に1日だけ寄って、
「東京へ引っ越すから。荷物はすべて出した。」
とすでに終わった状態で言って、出て行った。
親との関係も冷戦が続いたままに・・・