実績を作ると同時に、あらゆる写真のサークルにも加入した。
・全日本写真連盟十勝支部
・女性写真専門サークル(いまは解散したので名称は割愛)
・キャノンクラブ十勝支部(なぜか加入)
北部方面隊美術展での特選も2回となり、
もしここで特選を3回受賞すると「無審査」ということで、
無条件で出展という資格が与えられるレベルであった。
地元での知名度が一気に上がってきて、
十勝管内の有力アマチュアカメラマンだけが推薦、
出展できる写真展に参加することもできた。
機材購入も増えてきて、ハイグレードな機材やレンズも購入していた。
今でいう「レンズ沼」という沼にはまったのである。
しかし、ここで問題が徐々に直面してきた。
それは「維持費」の問題。
どんなに機材やレンズを購入しても、公務員という職業から、
写真としての収入は得られず、
給料(安月給)とボーナスだけで維持するという流れ。
写真は当時ネガフィルムであり、撮影会に参加すると、現像代はじめ
コンテストなど応募すると必ず大判(四つ切りや全紙)プリントしたり、
額装したりと費用がかかる。
また、サークルで写真集を出すということで、さらに負担が増えていく。
ネガフィルムも趣味で一度撮影会に参加すると、
最低36枚撮りフィルム5本以上は撮影する。
また機材購入も、当時は現金ではなくローン購入がほとんど。
結果、無計画がたたり借金が増え、1996年、任意整理に入った。
同時に所有機材は全部売却し、ローンの支払いへ充てることに。
こうして、写真撮影の趣味は続行不能となった・・・。
機材は一切持っていないので、
関係していたカメラ店も一気に距離を置くことになったのである。